外資系大手広告代理店からの依頼
インターネット専業広告代理店に入社して1年が過ぎていました。この時、会社からあるプレゼン資料を作成して欲しいと依頼を受けます。そのプレゼン資料は、外資系大手の広告代理店からの依頼で、提案するクライアントはIBMとのこと。詳しい経緯は忘れましたが、オリエン内容が渡され、そのオリエンに沿って、提案資料を作成しました。
のちに分かることだが、その提案資料というのは、外資系大手の広告代理店がどこかのインターネット専業広告代理店と組んで、ジョイントベンチャーを立ち上げる計画をしていたらしく、どのインターネット専業広告代理店と組むかを、そのプレゼン資料を見て、決めようとしていたらしいです。
そんなことを知らない私は、出会い系クライアントの対応をしている合間に、ちょこちょこ資料を作成し、完成したので、会社に提出しました。確か3日ぐらいで作ったと思います。出会い系で学んだ提案ロジックを使ってw
そんな資料の提出をしたことをすっかり忘れていたその年の12月の終わりに、突然、会社の専務から呼び出しを受けます。来年の1月からジョイントベンチャーに出向してくれないかと。しかも時間的余裕がないので、すぐにYesかNoかの返事をして欲しいとのこと。私は状況が良く分からないが、Yesと返事をし、1月から出向することになりました。
ジョイントベンチャーへの出向
翌年の1月より出向することになり、その準備のため、年末の最後の週の勤務は、外資系広告代理店に出向いて、引継ぎ作業を慌ただしく行ったのを覚えています。色々なツールの使い方を、今年まで担当していた外資系広告代理店の担当者から引継ぎ作業をするのですが、引継ぎ方は非常に雑で、マニュアル読めばわかるよと言われ、全500ページぐらいの英文のマニュアルを渡されました。英語も出来ないのに、なんのこっちゃ分かりません。習うより慣れろという事で、よく分からないまま、ツールをいじり倒した記憶しかありません。
そして、1月になり、外資系広告代理店とのジョイントベンチャーに出向しました。そこで、これから一緒に働くことになるメンバーと顔合わせをし、色んな話をしました。その時に聞いたのですが、IBM向けのプレゼン資料が、実はテストであったと事。私のいた会社以外にサイバーエージェントやセプテーニ、オプトなど数社に同じ内容の依頼をしていたこと。その中で、私の会社の資料が一番良かったことにより、ジョイントベンチャーを組むことになったこと。さらに、当初、出向メンバーに私は入っていなかったのですが、外資系広告代理店からの依頼で、プレゼン資料を作成した人を出向メンバーに入れないなら、意味がないというリクエストをしたことにより、私が急遽、出向メンバーに組み込まれるようになった事などが判明しました。
まぁ純粋に、自分のスキルが認められたという喜びと、出会い系クライアントで学んだことがIBMにも通用しちゃうの?という驚きでした。(もちろん、外資系広告代理店のメンバーには、出会い系クライアントをやって学びました、なんていうのは、話したことないです。)
こうして、正式に私の担当は、Lenovo、SAP、Cisco、その他新規クライアントがアサインされます。ここからの毎日は激務でした。出向メンバーは当初5人で(後に1名追加)、うち3人がLeovo、SAP、Cisco、新規担当なのですが、営業は私一人で、残りの二人はリスティング広告の運用者というメンバー構成です。そのため、提案資料の作成や折衝、メディア企業の対応、レポート提出、クリエイティブの入稿、第三者配信の設定など私一人でこなさないといけない状況。明日の13時にあるレポート報告会の資料を夜の23時から作成し始めるなんていうのは、よくありました。
本当に、1日16-17時間ぐらい働いていました。週末は遊びたいので、日曜日はその当時、彼女だった今の奥さんとデートして、24時から会社に出社みたいなことも経験しました。ただ、経験値で言うと、人の3倍は積むことが出来たと思っているので、内容の濃い1年を過ごしました。まともな社会人経験の乏しい私にしてみれば、一気にみんなに追いつくチャンスを手に入れることが出来たと、後になって思います。(その当時は愚痴ばかり言っていたと奥さんは言いますが。)
効率的な働き方を極める
元々、私はまじめなタイプではないので、いかに手を抜いて、仕事をするか?という事を考えていました。そのため、仕事の仕方は、非常に効率の良い働き方をしていました。特に、作業をする時間は苦痛以外の何物でもないので、いかに作業をしないで、営業成績を上げられるかを常に考えていました。それが、出向したことにより、とんでもない量の作業が私に降りかかり、とにかく時間に追われる状況でした。そこで、今までと同じ感覚で仕事をしていたら、とても作業が追い付かないと考え、この作業時間を減らすために、何ができるのかを必死で考えました。
その中で身に付けたのが、人への仕事の振り方とクライアントからの依頼の受け方です。要は、仕事を同僚や協力会社に依頼をする際、同じ依頼の仕方、同じフォーマット、同じルールに統一する事で、仕事を依頼された同僚や協力会社が依頼を戻してくれる際、全員が同じ形で戻してくれるので、私のところで集約をするという作業をしなくて済むんです。また、クライアントが私に依頼してくる際にも『このような方法で依頼をしてほしい』とお願いをする事で、その依頼を同僚や協力会社に振りやすくするという工夫をしました。
つまり、広告代理店の営業の仕事って、受け取ったボールを素早く同僚や協力会社に振り、帰ってきたボールをいかに素早くクライアントに戻すかというゲームだと思ったんです。だから、ボールを受け渡しする際のルールを私が作れば、私がボールを持っている時間は減る。つまり、私の仕事は減るだろうと考えたのです。
実際、それで、私自身があまり手を動かさなくても、仕事が回る良い状況を作れました。しかも、私が管理職になった後も、このスキルは大いに役に立ちました。作業という手を動かす仕事が減った分、頭を使った仕事に時間を避けるようになりました。この頭を使う仕事こそ、這い上がるためには絶対条件だと思います。
頭を使う仕事をするために
この頭を使う仕事をするためには、考える時間を確保する必要があります。営業にとって考える時間に最適なのは、『移動時間』です。頭を使う仕事は、デスクやオフィスにいなくても出来ます。しかも、広告提案が主たる業務である私にとって、電車の中というのは非常に適した仕事場所でした。なぜなら、電車の中は広告がいっぱいあって、色んなアイデアのヒントになるものが多数あるからです。
そのため、電車の中で提案ロジックをよく考えていました。いいアイデアを思付けば、自分自身にメールを送っておき、オフィスに戻った後に企画書に落としていました。こうして、作業時間を減らし、頭を使う仕事を増やした結果、出向当時で、約50%が作業、残りの50%が頭を使う仕事という比率にすることが出来ました。(現場の仕事をしている中では、頭を使う仕事を50%にするのが限界だと思います、どうしても作業は付いてくるので。)
自信が確信に変わる
このような多忙な1年が過ぎ、出向期間を終えて、翌年はインターネット専業広告代理店に帰ってきます。その時の気分は、MLBを経験した選手がNPBに戻ってくるような感覚でしょうか。『俺は世界を経験してきたよ』という感じです。
松坂大輔が鳴り物入りでプロ野球の世界に入り、イチローとの初対戦で3連続三振を奪った際に「自信が確信に変わりました」という名セリフを残しましたが、私もインターネット専業広告代理店に戻ってきた際の挨拶で、その言葉を引用させていただき、そのままの言葉で挨拶しました。それだけ自信に満ち溢れていました。だって、出会い系からグローバルの大企業まで、相手にしてきて、通用したのですから。こんな振れ幅のある広告代理店営業はいないでしょうという自負ですね。